李氏朝鮮末期の凄惨


悪辣な両班、苛烈な搾取、

悲惨な貧困、極限的不潔、

未発達な社会、残虐な刑罰、

動物以下の女性の生活など、

外国人が見た人間業とは思えない

李氏朝鮮末期の実態

 

 猛獣のごとき獄吏はやりたい放題、

何をやってもおとがめなし

「骨の砕ける音と凄絶な悲鳴」


 

刑罰―読み進むことも躊躇される残忍な刑罰・拷問

 

ハルバート『朝鮮滅亡』 

 

(民衆がよくもこれを我慢しているものだ)

 

 裁判は金の力で正義の秤が上下する。文明国ならたちまち民衆の反乱を呼び起こすに相違ないような不正かつ野蛮な事件を見聞きしないで済む日はないに等しい。民衆がよくもこれを我慢しているものだ。反逆者の処刑後は家の取り壊しがあり、全財産は没収され、息子や男系親族は皆殺しされ、女はすべて奴隷にされた。死刑囚は笞刑を受け、罪を告白してから殺される。中には最後まで自分の無実を主張しながら死刑になる者もある。

 

 朝鮮では証人は囚人同様留置される。証人席は時々、もっと知っていると思われると拷問場に変わる。だから裁判所側の望む証言をするのは当たり前である。(西尾幹二『国民の歴史』から引用)

 

 

『西洋人の見た朝鮮』(147)

 

リーデル神父『我がソウル監獄生活』

 

江華島条約締結から2年後の1878128日フランス人神父クレール・リーデルがソウルで逮捕された。捕校(警察部長)について書いている。

 

 (冷遇され、民衆を相手に憂さ晴らし)

 

 捕校の権限は大きく、「誰もとうてい彼らには抵抗できない」。ただ両班らは「彼らを蔑視し、時には冷たく扱う」。これについて、リーデルは重要な観察を提示した。「両班から冷遇を受けると彼らはいつも民衆相手に憂さ晴らしをするので、こんなとき相手にされた人こそ迷惑で哀れであるという他はない」と言う。 捕校はさらにもう一歩踏み出す。「彼らがある個人に復讐心を抱いたり、あるいはある富豪の財物を掠め取ろうと決めたときは、実に恐ろしい存在となる。彼らは(・・・)規定や度を越えた拷問を加えては、犠牲者を苦しめる」。

 

(事件を捏造、むごい拷問)

 

 ここで我われの目を引くのは、 捕校らが職権を濫用し、民衆を苦しめたり富豪の財産を奪取するという事実だ。それでは、その方法は何か。リーデルの指摘によれば、事件の捏造、それに不幸にも犯人に仕立てられた者へのむごい拷問なのである。リーデルは自分が目撃したひとりの犠牲者の拷問姿を、次のように描写している。「哀れな男はいまや、生きた人間というよりも皮を剥ぎ取られた死体同然であったし、肋骨がすべて露になり、髭・睫毛・眉毛はみな焼け焦げ、目もとに黒痣が生じ、足と膝の骨は粉々で、尻と下腹は火傷している。(・・・)彼が生き返ったかどうか、私はその後の消息を耳にすることができなかった」。

 

 

148)囚人の3タイプ

 

 リーデルによれば、囚人は主に3つのタイプに分かれる。泥棒・借金・天主教信者がそれだ。このうち泥棒が最も悲惨だった。リーデルは彼らについて、次のように書いた。

 

(足枷、首枷、骨と皮)

 

 「昼も夜も足枷をかけられているため、みんな病気にかかった状態だった。疥癬が全身に広がり、患部が腐っていった。彼らはひもじく、苦痛を味わい、骨と皮だけとなり、ある者たちは骨に薄い皮を被せただけといった有様だった。昼間外に出てもよいといわれても、彼らは数歩歩くのがやっとだった。これは人が想像できる光景のなかで、最もむごたらしいものである。

 

(眠ると棍棒で殴る)

 

 彼らに苦痛を与え精神的に参らせるためなら、何でもした。眠るのを禁じた。夜中、獄吏は太い棍棒を手に監視の目を光らせているが、もし眠気と疲労で誰かがコクリとでもすると、棍棒で背中や足や頭を殴って目覚めさせる。しばしば酒に酔ったこの荒くれ男らが、哀れで不幸な囚人に加える棍棒の音は、夜通し何度聞かされるかわからない。そうして、これら野蛮人の棍棒の下で、わずか一筋残っていた囚人の息が、ついに途絶えてしまうこともしばしばだった」。

 

 (猛獣のごとき獄吏は何をやってもおとがめなし)

 

 囚人を過酷に扱った獄吏は、処罰されないのか。リーデルは「この猛獣のごとき輩は、どのような場合にも処罰を受けないことが保証されていた」と書いている。「泥棒の囚人がひとり死ぬと病死だと報告し、死体は死体部屋に放って置く。すると翌日の夜、ゴミの担当者がやってきて死体を城外の雑木林のなかに捨てる」と彼は付け加えている。

 

 (獄吏こそ獄中にあるべし)

 

 リーデルは、盗みで収監された者のうち重罪人もいるが、「全く値打ちのないものをちょっと盗んだからといって収監された者が、どれほど多いかわからない」と指摘してから、次のような諧謔でもって獄吏の腐敗ぶりを皮肉った。「もし盗みを働いた者をすべて逮捕するなら、ほとんどの獄吏をまず先に捕らえなければならないだろう。彼らのなかには、泥棒とともに獄中にあるほうがふさわしいというべき者が沢山いる」。

 

 

『西洋人の見た朝鮮』(217

 

米国外交官アーレンの日記  (高宗の御典医、ソウル駐在米国公使館の公使、総領事などを歴任)

 

 (刑死体を犬が食う)

 

 130日彼は非常に衝撃的な光景を目撃した。甲申政変に加担して128日と29日の二日間に処刑された後、道端に並べられた4人の死体を、犬たちが食いちぎっている場面に出くわしたのである。彼は、自分のことを兄と呼ぶ閔泳翊(下記注)に向かって、君は謝肉祭を繰り広げて敵たちを食べていると非難した。この非難はかえって相手の復讐心をかきたてたようだ。アーレンによると、その後、閔泳翊は引きつづき犬肉を口にしたのだ。これを見たアーレンは彼に、君は自分自身の民衆を食べているといって叱りつけた。

 

(引用者注)

甲申政変:1884年12月4日に朝鮮で起こった独立党(急進開化派)によるクーデター。親清派勢力(事大党)の一掃を図り、日本の援助で王宮を占領し新政権を樹立したが、清国軍の介入によって3日で失敗した。この時現場で刺され重体に陥った閔氏一族の大物・閔泳翊をアーレンが治療した。アーレンは閔泳翊にとって、命の恩人である。

 

 

『悲劇の朝鮮』234

 

(25回のめった打ち)

 

 庭の中央に膝の高さほどの長い台が置かれ、その上に男が1人縄でしばられたままうつ伏せになっている。下半身はふくらはぎまで、上半身は肩まで着物をはいで、尻など胴の部分が完全に裸にされている。しなやかにたわみ揺れる竹の鞭を手にした男が数人、両手を縛られた囚人の両側に立っている。

 

 囚人は笞刑の宣告を受けたのであるが、執行人らが振るう鞭の音にすでに鞭が肉に食い込む痛みを感じているかのように全身を痙攣させる。看守長が命令を下すと、2人の執行人が笞刑を開始した。最初のひと打ちは鋭い音で、銅色の尻に真っ赤な痕跡を鮮やかに残した。2度目の鞭で囚人は骨にしみるような悲鳴をあげた。その体が13回も繰り返しめった打ちにあうや、悲鳴をあげていた囚人も結局気を失ってしまった。

 

 すると、刑の執行が一時中断となり、囚人の頭に冷水がぶっかけられる。囚人はひとしきり体をぶるっと震わせて痙攣を続けたが、意識を取り戻した。彼は呻きながら、許してくれと哀願した。しかし法の執行にいささかの情の挟まれることも不可能で、彼はまだ笞刑12回分が残っていた。こうして刑の執行が終わってみると、囚人の体はもはや人間のそれではなく、ただの血だらけの肉塊にすぎなかった。

 

 

同(237

 

(脚の骨が砕けつぶれる音、凄絶な悲鳴)

 

 次に同じ場所で死刑が執行された。囚人の足はしっかりしばりつけられ、両腕が両脇に縛られて少しも身動きができぬようになった。執行人が太い棒を縛られた脚の内側に挟んで、自分たちの体重のすべてを棒の片端にかけた。囚人が続けざまに吐き出す叫び声は、実に凄絶なものだった。脚の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを表現する声さえもはやないかのように、囚人の凄絶な悲鳴も止まった。気絶した囚人はややあって意識を取り戻した。力なく首を左右にゆすりながら呻き声を出し、その場に横たわっている。執行人らは、囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから、最後に絹紐を使って首を絞めて殺し、その死体をどこへやら引きずっていった。

 

 

『朝鮮紀行』(539)

 

(官職を売買、国庫の金を着服)

 

 人が理由もなく投獄され、最下層民の何人かが大臣になった。金玉均(下記注)を暗殺した犯人が式部官に任命され、悪事を続けてきて有罪の宣告を受けた者が法務大臣になった。官職をこっそり売買したり、国庫に入るべき金を途中で着服したり、貧乏な親戚や友人を「箔づけ」して官舎に住まわせるためにほんの数日間だけしかるべき官職に就けたり、高官が少しでも非難されたらすぐに辞任するという習慣がはびこったりした結果、国政はつねに混沌とした状態にあった。

(引用者注)

金玉均:朝鮮王朝の独立党の指導者。1884年、甲申政変で日本に亡命したが、後に上海で暗殺された。