李氏朝鮮末期の凄惨


悪辣な両班、苛烈な搾取、

悲惨な貧困、極限的不潔、

未発達な社会、残虐な刑罰、

動物以下の女性の生活など、

外国人が見た人間業とは思えない

李氏朝鮮末期の実態

 

北京を見るまで私はソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていた。)

だからソウルはまだましなのか。

 


 

極限的不潔さ読んでいるだけで反吐(へど)が出そうなほどの悪臭と、食事もできなくなりそうな不潔さ。

 

 

『朝鮮紀行』(58

 

(ソウルの不潔さは、北京や紹興よりまだまし)

 

城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまで私はソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!

 

(読むだけで反吐が出そうな不潔さ)

 

 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。悪臭ふんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸のこどもたち、疥癬持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしている。路地にはまた「小間物」とアニリンで染めたけばけばしい色のあめを売る行商人もいて、みぞの上に板をさし渡し、おそらく1ドル程度の品物をならべている。

 

 こういったみぞに隣接する家屋は一般に軒の深いわらぶきのあばら家で、通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙をはった小さな窓があって人間の住まいだとわかる。またみぞから23フィートの高さに黒ずんだ煙穴がきまってあり、これは家の床を暖めるという役目を果たした煙と熱風の吐き出し口である。(ソウル城内)

 

 

同(41

 

(骨組みに土を塗って建てた低いあばら家)

 

旧市街はみすぼらしいところだと私は思ったが、朝鮮の一般的な町のみすぼらしさはこの町と似たり寄ったりであることを後の体験で知った。狭くて汚い通りを形づくるのは、骨組みに土を塗って建てた低いあばら家である。窓がなく、屋根はわらぶきで軒が深く、どの壁にも地面から2フィートのところに黒い排煙用の穴がある。家の外側にはたいがい不規則な形のみぞが掘ってあり、固体および液体の汚物やごみがたまっている。疥癬で毛の抜けた犬や、目がただれ、ほこりでまだらになった半裸か素裸の子供たちが、あたりに充満する悪臭にはまったくおかまいなしに、厚い土ほこりや泥のなかで転がりまわったり、日なたで息を切らせたり、まばたきしたりしている。(釜山の旧市街)

 

 

『朝鮮雑記』(205

 

 不潔は、朝鮮のパテント(専売特許)だろう。京城(ソウル)はもちろんのこと、八道(朝鮮全土)いたるところとして、(洗練された)市街(まち)らしき市街(まち)を見ることはできない。牛馬人糞は市中に溢れ、その不潔なことは、たとえようもない。

 

 市場の中央には、共同便所の設備はあるが、それもただ、(わら)で屋根を葺き、蓆で四方を囲んだ、たいへん粗末なものである。しかも、その糞汁で、犬や豚を養っているから、もし、誰かが入ろうものなら、犬豚がじっと傍らに侍して、用を終えた人が出てくるのを待っている。これは、ほとんど嘔吐を催すようなものであろう。

 

 また、食物の不潔なのも、この国の特色といえよう。腐った魚菜を用いるのはもちろんのこと、その調理の現場を見てしまったら、どれほどの豪傑であっても、箸をつけるのに逡巡せざるをえない。

 

 料理人が、煮炊きものの味付けをするのには、匙や菜箸を用いずに、必ず手で行う。箸なども、千秋万古(永遠に)、ほとんど洗ったことはないだろうし、水洟を拭いとったその手で、じかに漬物瓶をかき回すなど、わが国の人がとても想像できないような次元なのである。

 

 

『悲劇の朝鮮』(46)

 

(臭すぎて内臓がひっくり返る)

 

 初めから不便な寝床だった。床面が熱すぎて(オンドルの床・引用者注)どうしても我慢できなくなると、起き上がって戸を開け放ったが、やがて寒くなると再び戸を閉めざるを得なくなる。こんな動作を5分ごとにくりかえすはめに陥った。ところがこうしていくら新鮮な空気が入ってきても、室内の匂いはいっこうに消えない。にんにくと汚物の匂いは、部屋にしみついているのだ。その匂いが一瞬ぷうんと強まるときがあって、そんなときには内臓がひっくり返りそうになる。

 

 

『朝鮮雑記』(27

 

(夜も眠れない)

 

 客舎(はたごや)には、蚊、虱、蚤に加え、ビンデーという、1度咬まれれば1週間は痛む寝床の虫が多く出るため、室内で寝ることができない。そのため、夏になると、宿の主人も室内には案内せず、内庭、あるいは路上に(むしろ)()き、そこに木製の枕を持ってきて、客をこの上に寝かせる。

 

 とはいえ、いく群れとなく蚊などが襲ってきて、安眠を買うことはできない。枯草を焚いて蚊やりとすれば、煙が出ているうちは蚊も寄ってはこないが、自分もまた、煙にむせて、やはり寝られない。ようやく煙が絶えたかと思えば、まもなく群蚊が、鼓を鳴らして耳ぎわをかすめ、終夜ブンブンと、つかの間も、まどろむことができないのである。

 

 

『西洋人の見た朝鮮』(208

 

フォーク『米国海軍将校フォークの日記』(188411月から南部を旅行し毎日日記をつけた)

  

 43日間にわたる900マイルの旅程で、フォークは実に多くの体験をした。まず、広くてよく(なら)された道もあったが、ほぼたいていは狭くて汚い道が多いことを知ったし、睡眠をとれないくらい南京虫や(しらみ)のはびこっている客舎(役人の泊まる地方宿舎)も経験した。どこへ行っても(かわや)がなく、あったとしても非常に不便なものだったのが、彼には辛かった。また、人の住む家があまりにもみすぼらしく、周りの環境のひどさが尋常ではないこと、子供はほとんどが裸同然で、裸足のまま暮らしていること、女は何もかも隠したまま暮らしていること、などを確認した。

 

 

『西洋人の見た朝鮮』(219

 

米国外交官アーレンの日記(高宗の御典医、ソウル駐在米国公使館の公使、総領事などを歴任)

 

 (対米使節団の団員の沐浴しない体から、糞・小便・朝鮮料理・タバコなどの臭い)

 

 18871210日に経由地の横浜を出発した対米使節団員たちは誰も、船酔いに苦しんだ。アーレンは1226日の日記に、何人かの団員について「我慢できないほど汚かった」と記している。具体的に、彼らが絶えず糞の臭いを漂わせたと嘲笑したのだ。彼は、彼らが「沐浴しない体・糞・小便・朝鮮料理・タバコなどなど」の臭いを漂わせた、と書き記している。彼は彼らに、服にたかる虱をつぶせと注意したと書いている。なかでも姜進護熙を酷評した。誰よりも臭いうえに、半分裸であちこち動き回っては周りをあわてさせたからだった。彼らの発する臭気のひどさゆえに、彼は客室をともにすることができず、外で過ごしたと書いている。

 

 

『西洋人の見た朝鮮』(237

 

米国人宣教師ホレイス・グラント・アンダーウッド『コリアのアンダーウッド』

 

(腸チフス・発疹チフス・天然痘・赤痢・コレラで多数の死者)

 

 アンダーウッドは復活祭の日曜日である5日済物浦に着き、その日の夕方にソウルに到着した。道はあまりにも狭いうえに泥濘だらけで、川は腐ったゴミですっかり覆われていた。それだけではない。蚊とハエの群れが雲霞のごとく飛び交うなかで、腸チフス・発疹チフスなどの疫病、それに天然痘や赤痢の流行によって多くの人が死んでいた。1886年の夏は、ソウルとその周辺ではコレラが猖獗を極め、多数の犠牲者が出た。ほとんどすべての道に死体が転がっていた。これは衛生を全く欠いた当時の朝鮮の状況からして、決して大袈裟ではなかった。

 

 

『西洋人の見た朝鮮』(189

 

英国外国官ウィリアム・カールス『コリアでの生活』18831885

 

「ソウルで、夏の梅雨時にマラリア熱病・黄疸・結核が驚くべき速さで広がった。子供が天然痘にかかると、親は外に追いやって食事をさせるのだが、そうした子らが町中列をなしていた。1886年にソウルとその周辺に発生したコレラにより、2カ月で約10万名が命を失ったと伝えられた。」

 

 

『西洋人の見た朝鮮』(128

 

ダレ神父『朝鮮教会史』

 

(虎より怖い虱・蚤・南京虫)

 

 家には虱・蚤・南京虫など人を苦しめる害虫が多く、人々は虎が近くにいることを知りつつも戸外で寝ようとする。ある種の病気はこの国で災難となるが、なかでも天然痘がそれである。これに罹らない者はおそらく100人にも満たないだろう。とくに大人が罹る病気として、ペストやチフスのようなものを挙げなければならないだろう。

 

 

『朝鮮雑記』(244

 

(小便で顔を洗う)

 

 一般的には尿を(きたな)いものと考えるが、かの国の人は、これを湯や水のように心得ており、穢いとも思わない。このことは、かの国の人が、不潔な人種であることの、一つの例証とするに足りるであろう。私は、なんと、小便で顔を洗うところを目撃したことがある。その人が言うには、「肌艶がよくなる」と。

 

 さらに、室内に真鍮製の溺器(しょうべんつぼ)を置き、客を迎える席でも、これを目につかない場所移すようなことはしない。そればかりか、尿意を催すと、すぐにこれをとって用を足し、また傍らに置く。たとえ、習慣でそのようにしているのだといっても、不潔極まりないというべきだろう。

 

 また、婦女が尿瓶を頭上に載せて、田畑へ赴く光景は、とくに珍しいことではない。彼女たちが陰部を洗うときには、必ず小便を用いるという。これは、梅毒などの伝染を防ぐためであると。