李氏朝鮮末期の凄惨


悪辣な両班、苛烈な搾取、悲惨な貧困、

極限的不潔、未発達な社会、残虐な刑罰、

動物以下の女性の生活など、

外国人が見た人間業とは思えない

李氏朝鮮末期の実態

 

(北朝鮮は、国民に草を食べさせても、

指導者は核開発に狂奔している。これは李氏朝鮮500年が作り上げた、この民族のDNAである)


 

極貧の庶民生活生きていく上で必要最低限の物以外は、両班に取られてしまうので、

働く気力もなくなってしまう。

 

 

『朝鮮紀行』(423

 

(欲しい物がなく、あっても買う金がない。)

 

徳川とその周辺地域は嘆かわしいまでに貧しい。人々は戦争(日清戦争:引用者注)のおかげで日用物資の値段が上がった。物々交換するにも同じ産物しかないと話していた。南で実行中の改革もこの地方にはまだおよばず、官吏は相も変わらず「搾取」を行っている。朝鮮人の糧である米は安州から運ばれてくるものの、買うのは金持ち、すなわち官僚のみである。貧民はアワを食べて生きている。イモと小麦は育つが、土壌は貧弱で石が多い。干し魚と海藻を主とした交易が元山との間に細々と行われている。質の悪い紗がわずかに生産されており、この産業は清国人が導入したものである。反物は平壌より穴あき銭数枚分だけ高い。市の立つ日に並べられている商品はすべて日本製である。私が見たなかでも最も活気のない市で、行商人は運んできた商品をほとんど減らさずに去っていった。

(大同江上流の徳川―今の北朝鮮中部)

 

 

同(432

 

(命をつなぐためのわずかな金も両班に見つかると取れれてしまう)

 

旅行者は朝鮮人が怠惰であるのに驚くが、私はロシア領満州にいる朝鮮人のエネルギーと勤勉さ、そして快適な家具や設備をそろえた彼らの住まいを見て以来、朝鮮人のなまけ癖を気質と見なすのは大いに疑問だと考えている。朝鮮じゅうのだれもが貧しさは自分の最良の防衛手段であり、自分とその家族の衣食をまかなう以上のものを持てば、貪欲で腐敗した官僚に奪われてしまうことを知っているのである。官僚による搾取が生活の必要物資をあがなう分にまでも不当におよび、どうにも耐えられなくなってはじめて、朝鮮人は自力で不正をただす唯一の手段の訴えるのであり、これは清国の場合と似ている。その手段とは許さざるべき醜悪なその郡守を追い払ったり、場合によっては殺してしまうことで、最近評判になった事件では、郡守の側近をまきを積んだ上に乗せて焼き殺すというものがあった。庶民の暴動はへんに挑発されると遺憾な暴力行為に発展することがなきにしもあらずとはいえ、一般的には正義に基づいており、また抗議としては効果的である。

 

(地中に埋めて凍らせて、わずかな財産を守る)

 

 搾取の手段には強制労働、法定税額の水増し、訴訟の際の賄賂要求、強制貸付などがある。小金を貯めていると告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと言ってくる。貸せばたいがい元金も利子も返済されず、貸すのを断れば罪をでっちあげられて投獄され、本人あるいは身内が要求金額を用意しないかぎり笞で打たれる。こういった要求が日常茶飯事に行われるため、冬のかなり厳しい朝鮮北部の農民は収穫が終わって2、3千枚の穴あき銭が手元に残ると、地面に穴を掘ってそれを埋め、水を注いで凍らせた上に土をかける。そうして官僚と盗賊から守るのである。

 

 

『西洋人の見た朝鮮』(182

 

井上角五郎『漢城廼残夢』1895 (日本政府により発禁処分)      

      

 (あれば両班に貪り取られてしまうので、働く気が起こらない)

 

 1886年に、朝鮮の京畿道と南部3道の忠清道・全羅道・慶尚道を巡回した。まず、民衆が極めてわずかな財産と所得に頼って貧しく暮らしていることを指摘し、それでいて彼らは誰も怠惰な生活をしていると批判した。しかし著者によれば、「両班は常民を虐待して衣食を得ており、常民はその残った衣食も両班に貪り取られるので、仕事をする気も起こらなくて、怠惰になる」というのである。

 

 

『朝鮮事情』(20

 

(毎年2回、飢餓は定期的に襲ってくる。)

 

 この山国では、道路と運輸機関が実に不足し、それが大規模な工作を妨げている。人々は、各自の家の周囲とか手近なところを耕作するだけだ。また、大部落はほとんどなく、田舎の人々は3、4軒、多くてせいぜい12、3軒ずつ、固まって散在している。年間の収穫は、住民の需要をかろうじて満たす程度であり、しかも朝鮮では、飢餓が頻繁に見られる。最も貧しい階級の人々にとって、それは年に2度、定期的に訪れる。まず、大麦の収穫を待つあいだの春窮期の6、7月、次いで粟類の取り入れ前の9、10月である。金銭は、法外な利子付きでしか借りられず、わずかばかりの貯えも使い果たした不幸な人々は、米やその他の穀物を買うことすらできない。彼らに残された生きる糧といえば、ただ塩水で煮つめたわずかばかりの草木だけである。

 

 

『朝鮮紀行』(67

 

(飼い犬も殺して食べる)

 

 路地は疥癬持ちの犬の天国である。どの家も犬を飼っており、四角い穴から犬は家に出入りする。よそ者が来れば激しく吠え、傘をふると逃げていく。犬はソウル唯一の街路清掃夫であるが、働きは極めて悪い。また人間の友だちでもなければ、仲間でもない。朝鮮語をはじめ人間の話すあらゆる言語に取り合わない。夜間吠えるのはどろぼうがいるからである。飼い犬といえどほとんど野犬に等しい。若い犬は春に屠殺され、食べられてしまう。

 

 

『朝鮮雑記』(69

 

(狗を食う)

 

 かの国の人は、狗肉(犬の肉)を喰うことを好む。各家が、狗を飼っているのは、必ずしも、戸を守り、盗みを警戒するためではない。多くは、その肉を喰うためである。犬1頭の売値は、わが国の通貨で3、40銭である。そのため、珍客や吉事でもないかぎり、みだりに処理することはない。あたかも、わが国の鶏や豚のようだ。

 

 かの国の狗は、人糞を食べて、生命をつないでいる。その不潔は、表現のしようがない。乳児が室内で糞を漏らせば、すぐに犬を呼んで、これを(ねぶ)らせるのである。また、あえて洗うこともしない。かの国の人の不潔を想像していただきたい。

 

『西洋人の見た朝鮮』(130

 

ダレ『朝鮮事情』

 

(政府は、民衆の半分が死んでもかまわない)

 

 「あまりの困窮ゆえに、西海岸の住民は中国の密輸業者に、自分たちの幼い娘を1人当たり米1斗と引き換えに身売りした。北方の国境の森を越え遼東へやってきた何人かの朝鮮人が、宣教師に凄惨な国内の有様を伝えながら言うことには、どの道も死体の山であるということだった。しかしソウルの政府は、中国や日本からの食料買い入れを許諾するより、むしろ民衆の半分を死ぬがままに放置することであろう。」

 

 朝鮮政府はどうしてこのような道を選んだのか。ダレによれば、政府は己の安全のため鎖国が必要と信じているという。そうした文脈で、彼は「いかなる利害や人情の考慮をもってしても、政府に鎖国をあきらめさせられないだろう」と断言した。

 

 

 

『朝鮮雑記』(97

 

(富裕者の門前で食を乞う)

 

 朝鮮の山岳は、多くが赤土の露出した禿山で、樹木がないために、少しの旱天(ひでり)でも水源はすぐ涸れ、田んぼに亀裂が入って、稲は赤みを帯び、百姓を悩ませているのである。

 

 わが国では、高地の水田に灌漑するときは水車を用いる。旱魃のときにも、その便に頼ることが多い。しかし、かの国には水車がないため、少しずつ杓子(しゃくし)で水を汲みあげる。その不便さは、計り知れないものだろう。要するに、かの国は、水車を発明するような知識もない、憐れな人間の掃き溜めなのである。

 

 旱魃が続いて、ほとんど収穫がなくなれば、韓人は、その女子供を下人として富裕者や支那人に売り、わずかな米麦を買うという。

 

 凶年で、一般民衆が飢えに苦しみ、つぎつぎと富裕者の家の門を訪ねて、一杯の食を乞う貧しい人たちは、痩せ細り、頬骨が出て、衣服は破れ、髪は乱れ、よろよろと、わずかに杖によって身を支えている。その惨憺たる光景は、まったく見るに忍びない。

 

 

 

『西洋人の見た朝鮮』(268

 

英国人画家サベッジ・ランドー『コリア、あるいはチョソン―静かな朝の国』

 

(極貧で娘を売る)

 

 ランドーは官吏の腐敗を鋭く非難した。官吏を実に無慈悲な強盗だと呼び、朝鮮は「民衆を絞り上げる恐ろしい制度」を固守していると非難しながら、そのため民衆は働いて金を稼ごうともしないと指摘した。「働いて稼いでも何に使うのかね? 働いて金を稼いでもその金を官吏に奪い取られて、相変わらず貧乏だと考えてみてください。そんな有様であなたは働こうとしますか?」と、ある朝鮮人は彼に語った。

 

 では官吏はその金で何をするのか。この質問に対し、ある朝鮮人は次のように答えた。「全部快楽に使うんです。女を連れてあそぶのです。あの人たちが妓女(妓生)と妾を引き連れて繰り広げる宴会には、とてつもない金がかかる。そのうえ、その女どもは吸血鬼と変わらず、自分たちの欲望と悪癖を満足させようとして、男どもに民衆からもっとむしり取らせるのですよ」。

 

 では、その女たちは何ものか。彼女らはほとんどが極貧の家に生まれ、妓女や妾として売られてきたのだと、ある朝鮮人が彼に教えてくれた。そのひとは、「何でもないところから高いところへ駆け上がった人間というのは、自分が今持っているものだけでは決して満足しません。彼らには、他人が以前の自分のように苦しんでいるのを見るのがいつも楽しいのですよ」と話した。

 

 これらの説明は何を物語っているのか。それは、朝鮮社会が精神的に腐敗し病んでいることを意味している。